ビラーンの医療と自立を支える会(HANDS)

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現地報告 ビラーン通信41号より

奨学生近況 4名が専門学校を卒業しました
 
この3月は車両整備、薬局助手、ホテルレストランスタッフなどの専門知識・技能を修めた4名の奨学生が卒業しました。
 ハイスクール4年間と専門学校2年間の支援、さらに小学校5年生から奨学生だった子どもの場合は、通算8年間HANDS奨学金を受けての旅立ちです。
 長年応援してきた子どもが卒業したり中途退学をした時に、いくらかでも奨学金返還の義務を課した方がよいという議論がありますが、学んだことを家族や親族、村の仲間に返す機会があると考えて、私たちは子どもたちを励ますとともに、元奨学生の動向把握に努めています(下段参照)。
 またCMBのスタッフグループは、中退した子どもを含めて「奨学金を村の仲間に返還する」方法を提示してきました。その方法は前号で報告のメリアンのように、卒業後の1年間は教育の機会に恵まれない村で、ボランティア教師として働くことを義務化することです。
 

ホテルレストランスタッフ養成コース卒業のアーリーン。今年はCMBスタッフとして住民組織化の手伝いをする予定
ゴメロ、グンガ、キアミなど辺境の村で、就学前の子どもや大人の識字教育を手伝うことになり
ます。無給ですが、1ヶ月に米2分の1袋(約25kg)と交通費がCMBから支給されます。

<村に戻った奨学生の事例>
◎ドリ(男):英文科を出てキアミに赴任。講習を受けて小学校教員資格に必要な単位を取得。
政府教員試験にも合格して、現在ラムブソン小学校教師。
◎ビーナ(女):助産師専門学校卒業後、キアミで教師とヘルスワーカー兼務。現在地方政府に
勤務
◎メリアン(女):初等教育課程を卒業後、ラムブソンでボランティア先生として1年間勤務。昨
年10月政府教員試験合格。今年はCMBダタルルタイ分校に移動し、正規教員となる予定。
◎スヌリア(男):経営学科を卒業後、CMB事務局勤務を希望したが新規採用枠がなく、従兄
弟や奨学生だった同級のジュニアワタとアトゥモロックなどでビラーンの組合作りに取り組む。
◎マルチノ(男):車整備専門を終えて有機農業を1年間学んだシラル村の自分の畑でモデル
農場にしてボランティアとして住民への農業指導に取り組んでいる。

ハイスクールを卒業した奨学生は15名、
うち11名がMSU進学を目指しています

 2004年9月に実施された国立ミンダナオ大学(MSU)の一般入試では全員不合格でしたが、交渉により先住民族特別枠で全員入れることになりました。進学を希望しない4名を除いて現在11名が、MSUの寮で進学の適正をみる試験に向けて補習授業(英語、数学など)を受けています。合格者のみが6月の正式入学許可となります。
  なお、先住民族枠入学の場合は、前期はハイスクールの復習に当てられ、半年遅れてカレッジの単位取得が始まります。
 
ミアソン村・公立ハイスクール卒業の6名
うち4名がMSU進学希望です



ブラクール村近況報告
 ブラクール村では小学校および周辺住民が利用していた水道の水漏れがひどくなり、大規模補修が必要となりました。そのため2003年の理科実験室と同様、2004年のクリスマスプレゼントは、学校施設の改善になりました。これまで、キアミやトゥランボンなどCMB簡易水道建設を支援してくれた市民団体ICECK(千葉市)の協力もいただき、合計10万円で大規模改修が実現しました。
  ブラクール小学校は住民自治会が運営をする学校と農園からなり、将来はヤギや果樹、アバカからの収入でその運営費の半分を賄う予定です。昨年度の収入は、コーン・根菜類12,000円、コーヒーとアバカ9,400円、雄ヤギ販売(3匹)6,400円でした。この水道補修で乾季の水遣りが可能になり、果樹苗も順調に育つと期待されます。果実販売収入は最大の自主財源と考えられています。
 

あしなが奨学金で育ったブラクール小学校の教師たち

 以前のFOT会員支援で巣立ったブラクール出身奨学生は7名。近況をPFPのロニーさんに伺
いました。小学校教師は教育だけでなく、アバカや果樹苗の世話、ヤギ飼育の指導を、ブラク
ール自治会役員と協力して行っています。給与は現在HANDSブラクール支援金から支給され
ています。

Denia Kulat:ブラクール小学校教師
Leonita Tilok:ブラクール小学校教師
James Sulan:ブラクール小学校教師・農業指導者
Bonel Bago:ブラクール小学校教師・農業指導者
Enrilo Simson:ブラクール小学校教師
Ernesto Yaten:大学卒業後教師になったが、2003年交通事故で死亡
Elena Dinyan:助産師兼ヘルスワーカーだったが、転居のため離任


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