ビラーンの医療と自立を支える会(HANDS)

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現地報告    ビラーン通信64号(2011.1.25)より抜粋

貴重な現金収入源「炭」の生産と環境破壊
− カレッジ奨学生カルメラの村を訪ねて −

 昨秋、女子高等教育を推進する団体からの申し出を受けて、カレッジ学生カルメラを奨学生候補として推薦することになり、その家族をダタルフィタック村に訪ねました。
rep64-pit まず目についたのは集会所に積まれた出荷を待つ炭袋の山です。村の主産業は、コーン、ココヤシと炭の生産・販売で、彼女の父親の年1万ペソも炭の販売収入を含みます。
 共同炭焼窯も見学させてもらいました。2昼夜で一窯10袋の炭ができるそうです。一袋60ペソで600ペソ。イピルイピルやブヨブヨと呼ぶ灌木を燃やす炭は硬木のナラ、ナボル等に比べると品質は悪いけれど、近くのコロナダル市内ではまだ75%の世帯が炭を燃料にしているため需要はあります。年3回のコーン収穫の端境期の貴重な収入源です。 しかし、この炭焼きで雑木、灌木まで伐採されて9月には村はずれの山で地滑りが起きて6人が犠牲になりました。全員ビラーン人です。地元政府は以前から伐採を禁止し植林を勧めますが、生活のための違法伐採はあとを絶ちません。
 この村は2年前に私たちが実施した「苗木育成と農業研修」事業の対象地域の一部です。
 果樹苗が実る数年後には、環境破壊につながる炭焼きに代わる収入の道が生まれることを願っています。

<会員の現地訪問記>
初めてのフィリピン、初めてのミンダナオ
山田カネ

rep64-yamada 昨年11月25日から12月2日迄のミンダナオ行きは、今考えると冒険だった。78歳、変形性膝関節症でストック2本が頼り。英語は話せず、その上難聴が重なるのだから。25日マニラに一泊。翌日ミンダナオ、ジェネラルサントス空港に到着。直ちに神父様迎えの頑丈な四輪駆動車で「ティボリ」の人達の住む高地へ。川を横切り、でこぼこ道を前後左右上下と思いっきり揺られながらやっと到着。十数人の子供達と大人。エンジンを水で冷やしている間、子ども達と身振り手振りで時を過ごす。一番嬉しかったのは、あの高地に水道が引かれていたこと。コンクリートで作られた箱形、蓋なしの水場で洗髪をしたり、体を拭いている姿が見られたこと。日本の協力で作られたとの看板も。
 小休止の後下山。再びでこぼこ道を登る。ミンダナオ滞在中、最高に景色の良かった所(写真)。神父様が用意してくださった昼食をいただき、食後子供達にノートや鉛筆を配った。嬉しそうに胸に抱えた子供達の笑顔が忘れられない。何日目だったか、山崎さんが湖を背にした仕事場兼店内で「仕入れ」をしている間、私は自由に製品を見ることができ、土産選びを楽しんだ。
 別の日も相変わらず山に向かった。立ち寄った静かな村で、薄暗い部屋にギターを「たて長」にしたような楽器があった。そのうち奥からバイオリンの弓のような物を持ち出し静かに弾いてくれた。それ迄隅のほうでニコニコ見ていた「出産」間近と思える女性が、布を被り楽器に合わせて舞ってくれた。楽器は何年ぶり、何十年ぶりに音を出したのだろう。そして、弾いてくれた年輩の女性は・・・。何気なく目にした足の爪はきれいに彩られていた。ずーっと手を振って見送ってくれた二人。
 日本に帰る日の朝、手作りの「首飾り」が届けられていた。山行中、川を横切ること数回。一度は広めの川を逆送し驚かされたりも・・・。ジェネラルサントス空港に着いたときも去るときも、真っ青な空が出迎え、見送ってくれた。感謝。



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